マタイ福音書の学び
  
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聖書箇所に下線のない129番以降は近日中に更新の予定です。(2012.8.17)
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 マタイによる福音書について
 2009年9月23日
はじめに
 本日からマタイによる福音書をご一緒に学びます。ここに面白い図があります。マタイは人(天使)、マルコはライオン、ルカは牛、ヨハネは鷲、そう描かれています。古代教会は、ヨハネ黙示録4章7節にもとづいて、四つの福音書を、王座に座るキリストの周りにいる四つの生き物に見立てました。そうやって福音書それぞれの個性を説明しようとしたわけです。
  四つの福音書はどれもイエス・キリストを語っています。しかしその語り方はそれぞれ違っています。それは、ちょうどわたしたちが山を見る場合、見る角度や場所によって様々に違って見えるのと同じです。福音書もそれぞれの時代と場所からイエス・キリストを語っていて、その違いが福音書の個性になっているわけです。わたしたちはこうした福音書の個性を受け止めつつ、イエス・キリストとその救いにあずかりたいと願っています。

T マタイによる福音書の構成の特徴
  マタイによる福音書は全部で28章あります。それ全体をざっと読みとおしてみますと、幾つか気づかされることがあります。

1.インマヌエル
 マタイはまずイエス・キリストの系図があって見知らぬ人の名前の羅列にびっくりしますが、その続きにイエス・キリストの誕生の記事があります。その記事の1章21~23節には、イエスという名付けについて「この子は自分の民を罪から救うからである」とあり、イエスの誕生によって「インマヌエル」が実現したとあります。そしてインマヌエルとは、「神は我々と共におられるという意味である」、と説明しています。マタイによる福音書は、名前の解説をしながら、イエス・キリストがどのようなご人格かを紹介しているのです。この方は、神の子であって罪から救いをもたらす、だからこそこの方において神が人間と共にいることが実現したのである、そう告げているわけです。
  そしてこの福音書の最後にはいわゆる「大伝道命令」とよばれる記事があります。28章15~20節です。そこでは復活したイエス・キリストが弟子たちを派遣し伝道をお命じになっています。その結びの20節でこのようにいわれています。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」というのです。ここでもやはり、イエス・キリストにおいて、神は共にいると告げています。
  このようにマタイによる福音書は、インマヌエルで始まりインマヌエルで終わっています。ですからインマヌエルがマタイによる福音書全体を貫く基本線であり、基本メッセージなのです。わたしたちは、マタイによる福音書を読むとき、どのようにインマヌエルを語っているのか、そのことに注意しながら読んで良いということです。
  さてマタイによる福音書は、以上のように、イエス・キリストがインマヌエルをご自分の生涯をとおして明らかにした書です。その際イエス・キリストはインマヌエルを言葉で明らかにすると共に行いによって明らかにしています。

2.イエス・キリストの歩みと働き
 マタイによる福音書は、イエス・キリストがガリラヤから神の国を宣べ伝え、癒しつつ悪霊追放をしつつ、エルサレムに向かい、ついにそこで十字架にお架かりなり復活したと描いています。神の国はイエス・キリストにおいて実現したのです。このようにイエス・キリストがガリラヤからエルサレムへ歩まれたと語るのは、マタイによる福音書だけではありません。マルコによる福音書やルカによる福音書と大筋で一致しています。このように共通の観点からイエス・キリストを語っているので、マタイ・マルコ・ルカは共観福音書といいます。

3.五大説教
 次に言葉についてですが、マタイによる福音書ではイエス・キリストが様々な機会にお語りなった説教を五つにまとめています。そしてイエス・キリストの歩みは五つの説教によって区切りをつけられています。
5〜7章 神の国に生きる幸い―「山上の説教」
10章   神の国を宣べ伝えるため―弟子の派遣
13章   神の国の秘儀 18章 神の国がもたらされために
24〜25章 神の国の実現を待ち望む
  これはモーセの五書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)に対応するものとしてまとめられたと言う人もあります。しかしそれ以上に大切なことは、イエス・キリストの説教はどれも神の国を主題としているということです。

U 福音書の性格

1.信仰告白の書としての福音書
 以上の話しから分かるように、福音書はイエス・キリストの生涯を編年体でつづった年代記や伝記とか、あるいは歴史小説のようなものではありません。イエス・キリストを告白している、そういう信仰告白の書です。また聖書が神の言葉であるということも、聖書がイエス・キリストを告白しているからです。イエス・キリストとは神のみ言葉そのものなのです(ヨハネ1:1)。

2.礼拝の中から生まれた福音書
 こうしたことは、福音書がどのように生まれたのか、その歴史を考えても分かることです。いわゆる福音書の成立史です。それはほぼ以下のようになります。
  @旧約聖書+ナザレのイエス イエス・キリストは、旧約聖書の告げる神の救いを、ご自分において実現しました。安息日礼拝では聖書朗読と説教して、そのことを告げました(ルカ4:16)。
  A旧約聖書+使徒たちによるキリスト証言 次にイエス・キリストの死からの復活の後(30年頃)、十二使徒たちが礼拝で主イエスを証しました。使徒たちの証言は、信仰告白、讃美歌、イエスの教え、イエスの行いなどです。これは使徒言行録に使徒たちの説教がありますので、それをご覧になると分かります(使徒2:14〜36)。またパウロの手紙などが礼拝で朗読され、他の教会でも回覧されています(一テサロニケ5:27、コロサイ4:16)
  B旧約聖書+信仰告白・讃美歌・イエス語録・イエス行伝・受難物語 それから十二使徒たちが高齢化したり迫害のため死去したりして、礼拝でキリストを証できなくなります。そこで使徒たちの証言は文書化され朗読されます。
  C旧約聖書+手紙+福音書 そうした中から、ついに福音書という書物が成立します。文書化した使徒の証言をまとめたわけです。最初はマルコ福音書が成立したと考えられています。65~70年のことです。その後100年頃までに、マルコを参考にしてマタイとルカ福音書が生まれ、最後にヨハネ福音書が生まれます。
  これらの福音書は、礼拝をするために生まれたものです。だから聖書は、教会で読むとき、その真の姿を明らかにし、実力を発揮するのです。つまりイエス・キリストとの出会いへと私たちを導く力があるのです。

3.著者問題・場所
 伝統的には、十二弟子の一人マタイが著者であるといわれてきました。それは教会史家エウセビウス(260?~339年)が、マタイがイエスの言葉を編集したといっているからです。しかし近年では著者マタイ説は支持されていません。
  けれども、こうした著者問題は、その作品を個人の働きに帰する考え方が前提になっているように思います。「作者個人―作品」という考え方です。しかしこれは現代的な考え方ではないでしょうか。すでにお話しましたように福音書は、礼拝の中から生まれました。つまり礼拝共同体の産物なのです。それにマタイの名がつくのは、エウセビウスが正確に語っているように、主イエスの言葉をまとめ、福音書を生み出すその端緒を開いたからではないでしょうか。
  ところでマタイによる福音書9章9節によると、マタイは徴税人の頭であったようです。当時、徴税人はイスラエルの人々から嫌われていました。それは、集めた税金を、自分たちを支配するヘロデ王やローマにもっていくからです。つまり不当な支配者の手先と思われていたのであり、罪人であったわけです。マタイはその頭でありましたから、大変憎まれ罪人扱いされたと思われます。そういうマタイが収税所に座っているのを主イエスはご覧になったというのです。この「座っていた」というのは、ただ座るという動作とか状態を表しているだけではありません。「ある地位に着く」という意味もあります。つまり胡坐をかいている、という意味です。人は、人から蔑まれ罪人扱いされ続けると、そこから抜け出すようになるのではなく、逆に罪人の状態に座り込んでしまうのです。主イエスは「わたしに従いなさい」と無条件に言いました。つまりあなたもまたわたしの弟子であり、神と共に生きる幸いにあずかるのだといって招いておられるのです。このように主イエスが関わってくださったので、マタイには自分の場所から立ち上がって主イエスに従うことが出来たのです。この点、わたしたちも同じでしょう。わたしたちは自発的に主イエスの弟子になるのではなく、主イエスが呼びかけてくださるので、そのみ後に従っていくのです。
 さてマタイによる福音書が成立したのは、シリアのアンティオキア教会のことであったといわれています。その教会は異邦人伝道の拠点です。そこにはユダヤ人でキリスト者なった人もいれば異邦人でキリスト者になった人もいます。これらの人々にとって、地上を歩まれた主イエスはどのようなお方であり、律法をどう受け止めておられたのかが大切な問題であったようです。そしてこれはまたわたしたちにとっても大切な問題です。イエス・キリストは律法を実現したお方です。そのことの幸いに、わたしたちもあずかりたいと願っています。
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